小柳博彦・ ヨーロッパ転戦記

〜ヨーロッパ、馬と家族で8万キロ〜


(全3話)


















〜ヨーロッパ、馬と家族で8万キロ(3)〜

 デンマークにも行きました。フェリーに乗りましたが、いつ動き出したかも分からないほどの巨大な船でした。
2002年夏には、競技会の成績が頭打ちになり帰国しようかと迷いました。しかし、スペインの国際競技から招待が来たとたんに気が変わってしまいました。 それまで乗ってきた2頭の馬たちが限界にきていたこともあり、次の馬探しです。こちらでグランプリの競技会に使っていて、ある程度の成績を持っている馬は相当な値段がします。しかし、何とか最後の貯金を全部つぎ込めば購入できる馬が見つかりました。再スタートです。




 2003年春、一ヶ月間スペインへ遠征しました。ドイツからスペインまではトラックで3泊4日かかります。ルクセンブルグ、フランスを通りスペインの端っこのヘレスまで出かけました。 ヘレスはシェリー酒と名馬の産地として有名な、小さいけれど豊かな街です。このスペイン遠征は私のヨーロッパ滞在中、自分で馬の輸送をしなかった唯一の旅となりました。始めて他人が調教した馬に乗ることもあり、残念ながら成績はいまひとつでした。
しかし、大きな馬輸送トラックの助手席は楽しく、私はすっかり観光気分でした。馬は各地で探しておいた厩舎に休ませながらの輸送でしたが、いつもとは様子の違う大遠征に戸惑っているようでした。
競技会の合間には、乗客のほとんど全員が船酔いになってしまう船で、アフリカに渡りモロッコへも行ってきました。 インドへ行くと人生観が変わるといいますが、私もモロッコに行ったとき、良きにつけ悪しきにつけ、まだこんな生活をしている人々がいるのかとびっくりしました。
この遠征後も3頭に増えた馬を2頭ずつ自分のトレーラーに乗せ、毎週毎週、競技会に出場し続けました。ローカルの小さな大会から、オーストリアのスワロスキーというクリスタルを作っている大金持ちの会社オーナーに招待された豪華な国際競技会までいろいろです。



 私にとって最後のシーズンとなったこの時期には、家内と息子も競技場に同行しました。当時3歳であった息子は、馬達の体調がすべてに優先する強行スケジュールの旅がよほど辛かったのでしょう。 日本に戻ってからは極度に外泊を嫌うようになってしまいました。(今はたとえ行き先が大好きなディズニーランドであっても「お泊り」の旅行には出かけたがりません。)



 最後は知り合いになったハンガリーの馬術連盟から招待を受け、片道1,300kmの距離を24時間運転し、出場してきました。 このうち8時間はハンガリーの入国審査で止められました。英語をまったく話してくれないため、馬の通関に手間取ったのです。 ここは西側の国ではないと改めて痛感した次第です。
表向きは、2003年度世界ランキング400人中108位という成績が残りました。これはあくまで単なる結果であり、ここまでやってこられた体力、精神力に感謝、危険なことも多々ありましたが、何とか切り抜けられた悪運にも感謝です。
今回は、医師としての生活を中断しての5年間。いったい何をしてきたのかをお知らせしたく、細かなことには触れていません。私のヨーロッパ生活において、自分自身で感じた興味あること、面白かったことなどは、また機会がありましたら書かせていただきたいと思います。


>>Topへ戻る
京都保事協ニュース 2005.3月号 No.536掲載